『自治研ぎふ』に見る長良川河口堰問題
長良川河口堰問題は自治研活動の原点であった。1978年の岐阜県の同意をめぐる対立を1号、2号と続けて大きく特集で取り上げている。その後、水需要の低迷の中で本体着工が見合わせられた中で、運動も沈滞し、市民の会が発行していた『川吠え』が廃刊された(33号:1987年)。
その直後、不況対策の公共事業を今度は掲げて本体着工の動きが生まれた。新しい反対運動は地元以外からも自然保護派によって起され(44~48号:1991〜1992年)、無駄な公共事業の見直しをめぐる全国的な焦点となり、そして河川政策の転換点ともなったのである(北川石松元環境庁長官 66・67号:1999年11月)。自治研センターとしては、1978年の独自の住民アンケート調査に続いて、1990年と91年に2回のアンケートを実施して結果を公表した(42・43号:1991年、45号:1992年)。そして、当事者の岐阜県を巻き込んだシンポジウムの結果を「改めて問う長良川河口堰―記録と質問回答」として増刊3号(1991年)を出している。
長良川河口堰は1995年に完成して運用を開始したが、全国的な公共事業をめぐる見直しの大きな争点となって、1997年の河川法改正では、河川環境の保全と、住民の参加を盛り込む契機となった。最近も大規模な水害が頻発しており、従来のダムなどに依存した治水政策では水害を免れることができないことが明らかとなった。国土交通省も「流域治水」へと方向を転換しているが、今本博健(101号:2011年)は全国的な視点からも「非定量治水への転換」を説いている。また、在間正史(97号:2010年)は、河口堰の建設の理由とされた下流部の浚渫による塩害の恐れに対して、建設省の資料からもそれはありえないと論じている。
河口堰のゲートを開門、もしくは調査開門させるために、愛知県の長良川河口堰検証委員会、さらに続く最適運用検討委員会において、富樫幸一(97号:2010年)は水需要の減少傾向の中で、明らかに過剰な開発であった河口堰や徳山ダムは不要であり、利水管理や渇水対策の対案によって、ゲートの開放は可能であることを論じている。
徳山ダムについても、岐阜県の誤った利水計画、さらには揖斐川から長良川、木曽川へと利水と正常流量の確保のためという木曽川水系連絡導水路について、富樫幸一(89号:2008年、93号2009:年)が問題点と財政的な負担を指摘している。
河口堰の開門調査に向けて、尾張・北中勢の水道需要の実態からみた、長良川からの取水の停止の条件をめぐって検討したのが富樫(97号:2010年)で、塩害の発生がないことを論じたのが在間(同号)である。今本(101号:2011)は、治水政策の転換が必要であると論じている。 「渇水対策」「ダムからの予備放流」まで行われつつあるが、ダムと流量管理を歴史的に遡って解明するとともに、電力などと合わせたより柔軟な河川管理へと転換する必要があることを富樫(137号:2024年)提言している。 蔵治(107号:2013年)は、岐阜県の森林・環境税の実態と健全な水循環のあり方を提起し、富樫(104号:2012年)と(119号:2017年)も流域の水循環と地域づくりの関わりを述べている。 人口減少と節水化は、水道事業の給水量を減少させており、自治体の水道事業は、収入源、人手不足、施設の老朽化の問題を抱えている。富樫(131号:2022年)は岐阜県の実態と民営化をめぐる問題を論じ、さらに現場の職員や公益企業の組合との座談会(134号:2022年)でこうした深刻な問題が現場で起こっていることを議論している。
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