岐⾩県地⽅⾃治研究センター

地域の公共交通/岐阜大学地域科学部 高橋 弦


このテーマでの研究は1980年代に集中している。その理由はいうまでもなく、この時期に公共交通網の大幅な「合理化」 =不採算路線の切り捨てがとりわけ過疎地域に対し集中的になされたからに他ならない。多くの赤字ローカル線を抱え、過疎化対策に頭を悩ませていた岐阜県にあってはその後の地域政策トータルの方向性を決定付けるほどの重みをもったできごとであった。

中村波男の慧眼

当研究センターは機関誌『自治研ぎふ』において3 度の特集を組み、調査研究論文を発表しながら、県下のローカル線を守る住民運動のリーダーシップを発揮すべく尽力した。当初、論障を張ったのは中村波男であった。

彼の提起した論点はいくつかに分岐しているが、現在に至るも決して色槌せない鋭利な問題提起が見られる。まず、第5 号(1979年) 特集「 国鉄ローカル線を考える」で中村は国鉄の赤字解消策として地方ローカル線を切り捨てる政府の方策を見当違いであるとして退ける一方、注目すべき論点を提示する。

第1に「国民は公平に公共的な交通サービスを受けられる」 という「政治的基準」 がいつのまにか、採算のとれない赤字路線は切るべきという「経済的基準」へ判断の標準が切り替わってしまった。第2に利用者(消費者)コストの視点を前面に押し出した。つまり仮に鉄道をパス等に替えたとすれば、公共交通の赤字は減るかもしれないが、過疎地の住民は不便に加え、従来、割高な料金負担を強しられるわけだから社会全体としては何も「合理化」 されないのではないか、と問い掛ける。第3に大量輸送機関としての鉄道が持つ省エネ効果にも言及する。道路に比べ鉄道は少ない面積で済むとか、エネルギー効率が優れている点などを指摘する。戦後日本は曲がりなりにも新憲法をもち、国民全てに対し社会権を認め、どこへ住もうが等しい公共サービスを受けられる態勢を組んできたはずであった。そうした政治的基準がいつのまにか、市場ベースの経済主義にとって替わられ、公共の役割がどんどん縮小していくことに繋がるのではないか。しかもそれは社会全体レベルの効率化ではなく過疎地への単なる矛盾のシワ寄せではないかというのが、戦後民主主義者・中村の悲鳴に近い感慨であったに違いない。実際、地方線整理切り捨ては大局的にみても全ての地域へ成長の成果を配分させようとする戦後民主主義路線から弱肉強食を特徴とする「新自由主義路線j へのはっきりした前触れであった。

運動の性格と限界

以上の状況認識をもとに中村は13号「国鉄ローカル線を考える(2)」 (1981年)で「国鉄地方線廃止反対岐阜県共闘会議議長」 として政府方針の矛盾点を突いていくという運動論を示す。それは政令に表れているように政治的妥協の産物の常としてあいまいさを多く含む弱点がある。具体的には「代替え道路」 の存在することがパス転換の条件であるが、樽見線・神岡線などでは不適格であるという風に。

しかし結果は周知の通り、第三セクターへの転換を阻止できなかった。中村はこれが運賃値上げと客離れの悪循環をもたらし、地域の産業・住民生活を脅かすことになることを危慎し、実際そのようになった。

なぜ反対運動は挫折することになったのか。国民としての権利の保障を求めるというのは当然であるが、新自由主義のように機会の平等を唱え、効率一辺倒の政策思想に対しては中村が当初、強調したように省エネ、環境、国民生活トータルの合理性追求といった複数のテーマを重ね合わせ、私たちの生活スタイルそのものの変革を含む運動にしていかなくてはならないのではないだろうか。

越美南線の本格調査

どんなに乗客が少なく、また過疎化が進行するばかりであっても国鉄ローカル線の廃止は地域の生活と経済に大きな影響をもたらすはずである。一般的にはこうしたことは誰でも理解するが、実際の調査活動(水崎、渡辺、辰村)によってイメージを具体化する試みがなされた(28号:1985年)。

対象として選ばれたのは中濃から奥美濃へ至る越美南線である。渡辺は長良川に沿って岐阜県を縦断するこの鉄道沿線地域の地域振興計画において越美南線がどのように位置付けられているかという興味深い観点から分析を始めている。それによればタテマエとしては越美南線の存続が主張されているものの、ホンネの部分はすでに東海北陸自動車道の完成と中部高速自動車道の実現を当て込んでいる現実が明らかにされる。

産業構造の面では第2次産業化が進み、また郡上踊り・白川郷等に代表される有力観光資源を多く抱える当地域であるが、地理的には典型的中山間地に他ならず、経済合理性の世界からは距離がある。それなのに岐阜県当局までも中央に調子を合わせて第4 次総合計画において地方鉄道線については国鉄合理化路線の露払いを演じている。地域特性をカウントに入れたらそうした一面的効率性の追求はリスキーであると渡辺は警告を発している。

利用状況の如何

水崎節文は越美南線の利用実態をより明瞭にすべく、国労の協力を得て乗客の全面的アンケート調査を実施した。そして統計的にみて圧倒的多数の利用者は「通勤・通学」 、次いで「高齢、病弱」 のいわゆる「交通弱者」 であることを実証する。注目すべき指摘として越美南線の利用者にあってもその居住範囲が駅から徒歩10分程度の距離に限定されてきているという。つまりモータリゼーションの時代にあっては生活スタイルの変化から「時間」 の観念がこれまでにもましてナーパスになってきたとみなす。

 なお「月数回」しか利用しなくても住民の主観としてはよく利用しているという潜在意識が働いていることに水崎は注目する。鉄道を除けば国道156号線しか有力な移動手段をもたない当該地域の住民にとって運賃の安価なことも手伝って越美南線への心理的依存度は決して小さくないことに目を向ける。モータリゼーションが進むなか、鉄道利用者の層がきわめて狭く限定されてきていることは公共交通不要を意味するのではなく、別途役割転換が求められている点に水崎は喚起を促す。公共交通の復興には駅へのアクセス良好化や駐車場整備など自治体・住民サイドからの主体的アシストが不可欠であることを視野に入れての発言であろう。

通学の問題

越美南線の中心的利用者は通学の高校生である。小中学校生の全体でみて当該地域の10パーセント程度の生徒が通学の足として頼っている。とりわけ郡上北高や郡上高の場合それぞれ46 . 5パーセント、30パーセントもの生徒が鉄道利用者である。辰村はこの事実を前に採算ベースの考えで安易にパスや第三セクターへ切り換えたら「安全性」 「経費負担」 「 自治体負担」などの点でおおきな問題を残すことになると指摘する。国鉄が金科玉条として振りかざす「公共性」 の観点はここでは後景に退いてしまう。

研究の反省とこれからの公共交通

自治研センターは80年代、国鉄合理化が地域社会へ及ぼすマイナスの影響を考察・調査し、その問題点を明らかにしてきた。90年代以降はっきりしてくる地域(特に過疎地)の切り捨てに繋がる「地域自立化」指向の強制など(新自由主義への大転換)の端緒でもあったローカル線合理化に対し、戦後民主主義や公共性の観点から研究してきたが、「経営の合理化」 「財政負担の限界」 という効率重視の政策論を前に十分なオルタナティブ(代替案)の提起ができなかった。

そうした反省を踏まえた上でのささやかな問題提起として2003年の小川慶「岐阜市の路面電車沿線住民に対するアンケート調査の概要と結果」(第74号)を理解してほしいと思う。これは岐阜大学の院生の研究成果であるが、名鉄による路面電車全面撤退の方針を受けて市民が「どうしたら利用したいと考えるのか」 を検討したものである。世界的にも路面電車の意義を再評価するという流れにのって「乗降時の安全性の確保」 策こそがキー・ワードであると結論付け、そのため事業者・道路管理者・警察の協力態勢の構築が喫緊の課題という。今後とも問題の提起と政策を合わせ考えていきたい。