岐⾩県地⽅⾃治研究センター

環境問題への取り組み一合成洗剤、プラズマ研、超深地層研究所、廃棄物、街環型社会/岐阜大学地域科学部教授富樫幸一


「自治研ぎふ」(9号:1980年)では合成洗剤問題の特集号を組み、小瀬洋喜、市川なおこ、八竹昭夫の3氏が、安全性、河川汚染、せっけんの普及などについて報告している。1980年10月25日には自治研センター主催で「合成洗剤追放シンポジウム」が開催された。10号(1980年)で八竹から小瀬へ疑問が投げ掛けられ、12号(1981年)では小瀬が返答している。

15号(1985)は土岐市に計画された名古屋大学のプラズマ研究所(現・核融合科学研究所、東濃研究学園都市)の移転をめぐる特集で、湯川二郎、寺嶋由之助、原野人の3氏が解説と問題点を指摘し、水野沖三・土岐市長と西寺雅也・多治見市議(当時)へのインタビューも含まれている。この誘致をめぐっては24号で、伊藤智恵子が「住民の動き」で疑問の声をあげる活動を報告し、28号(1985年)でも山田氏が再度、触れて、トリチウムを用いる核反応実験は行われないこととなった。62号(1998年)では石川嘉康氏が研究所の完成とともに、あいまいな問題として残されたトリチウム「発生」をめぐる問題を指摘している。

石原産業によるリサイクル製品を偽造したフェロシルト(放射性物質を含む)の投棄問題に対しても、地元の各地域や市民運動から声が上げられ、撤去に向けて岐阜県や三重県を動かすところまで進められた(兼松秀代、78号、2006)。

東濃でもう一つ、問題となって取り組みが続いたのは瑞浪市における「超深地層研究所」計画である。大津正秀(動燃・東濃地科学センター、60号:1997年)が計画を解説し、西尾漠(62号:1998年)がこれに対して疑問を呈している。さらに兼松氏が68~69号(2001)で放射性廃棄物の地層処分に繋がる恐れを強く批判している。

バブル経済の中で、名古屋大都市圏の周辺に当たる岐阜県南部では100を超えるゴルフ場の建設ラッシュが起きようとしていた。38号(1989年)では寺町知正が「もう、いりませんゴルフ場!」とゴルフ場問題岐阜県ネットワークからの声を上げ、山田桂は42/43号(1991年)で国土利用計画に違反するゴルフ場建設計画を指摘した。59号(1993年)では南修治が、ゴルフ場問題は住民のコミュニティをも破壊すること、そして立木トラストの運動は都市の住民とのつながりを通じた広がりを作り出し、中山間地域ではゴルフ場に代わる地域づくりにつないでいかなければならないことを訴えている。バブルの崩壊は、ゴルフ場経営や関係した会社の経営破綻を引き起こしただけでなく、流域の環境の悪化や水害発生のつけを残したのである(山田、45号:1992年)。

全国的にも注目を浴びた御嵩町の産廃計画については、本誌57号(編集部、1996年)でもまず報じ、岡本隆子が59号(1997年)で「御嵩町産廃計画の是非を問う!」と住民投票につながった運動の流れを報告し、61号(1998年)ではその画期的な結果と自治労の政策を掲載した。前・柳川町長に対する暴力テロ行為、当時の県の産廃政策(地球環境村構想)、『岐阜県史・現代編』における削除問題など、多くの問題を伴ったが、新たな体制の下でようやく町・県・企業による協議がまとまろうとしている(2008年)。同じく全国的な問題となった香川県・豊島の産廃問題について、石井亨の報告(第20回総会記念講演、61号、1998)が行われて県内から多くの参加者を得た。

ところが、2004年3月に岐阜市椿洞において大規模な産廃不法投棄問題が発覚した。76号(2005年)では岐車市環境事業部による「経緯と課題」と、粕谷志郎・杉山央祐両氏の調査結果、また、松井英介(78号:2006年)は岐阜環境調査市民学術委員会による提言を紹介している。三谷晋(80号:2006年)は、全量撤去について措置命令と代執行をめぐる法学的な観点から論じている。第27回総会(2004年7月)における千葉県の産廃Gメンとして知られた石渡正佳氏の講演は増刊4号(2005)として発行し、自治研としての独自の寄与を図っている。2008年からは岐阜市が環境省の了解を得て、部分撤去の作業が始められる予定である。

家庭ゴミなどの一般廃棄物をめぐっても、多治見市の愛岐処分場の満杯化から、名古屋市の藤前干潟埋立の中止と、本格的な分別・減量の開始の一方で、多治見市自体も「脱焼却」r脱埋立」、そして市民の「その気」を促す循環型社会づくりへの取り組みを紹介している(仙石浩之、65/66号:1999年)。続いて仙石(71号:2002年)は、地方分権下における法定外目的税の一般廃棄物埋立税を、市民、マスコミとの議論をふまえながら、名古屋市に対してかけることの意義も述べている。三重県における産業廃棄物税の創設(脇光弘、同号)においても、県民、関係者、議会との開かれた議論のプロセスこそがこれからの自治にとってもっとも重要だったことを説いている。また、武田康郎(70号:2002年)も「同世代循環型の社会を創ろう」と幅広く訴えた。

ここで自治研が果たしてきた役割を振り返ると、科学者や行政の専門家だけでなく、市民からの問題提起や活動を紹介する場となってきたことがあげられる。合成洗剤問題や、超深地層研究所、岐阜市の産廃不法投棄問題でも、異なる意見や立場からも報告や記事をお願いした。産廃問題の様に、豊島や千葉県などの全国的な取り組みを知る機会を講演や記事で設けたことで、県民の関心を高めることができたのではないだろうか。初期の環境問題をみると、情報を公開せずに狭い関係者だけでことを進めてきた企業や行政に対する批判が強い。しかし、市民のフットワークを活かしたネットワークづくりや、議会や首長を動かすだけでなく、御嵩のように住民投票によって住民が自分たちの手によって政策を決定していくところまできている。行政やその職員の側からも、政策形成のプロセスの公開と聞かれた議論を通じて、循環型社会づくりを先駆的に進めているケースが紹介されている。